とりあえず大先生の本はまだみつかりませんので私のくだらない話でしのぎます。最近『せつない』について私の心の中を探査するようになりました。とりあえずは日常でのなかでは昼もさがり三時を回る頃、夜に進みゆく間に一番発生しやすいようです。西の空に陽がしずむあたりにせつなさは棲息しているようであります。
 やはり三丁目の夕日に染まる電信柱の長い影、カラスがアホーと鳴きとなりのポチがせつない声で遠吠えをしていたあの頃・・・・私にとっては昭和30年代の西岸良平の世界には無条件にせつなくなってしまうのでありました。ゲタ履いて銭湯にカランコロンと石ころ蹴りながら夕焼け空にとんびがくるりと輪をかいた。
 両手を〜か〜ざ〜し〜て〜 帰ろう〜と三橋美智也の歌声がせつなく響くのであります。40代しかわからん話しですんません。この時代に生まれて幸せなのでありましてTVはもちろん白黒でスイッチを入れてもすぐには映らん真空管。あ〜せつない、せつない〜と、何がせつないのか?こういうのはノスタルジーであってせつなさの定義としてはどのジャンルに属すものであるのか、いけない処インプットしちゃいまして私困っております誰か助けて下さい・・・・・
 サウダージ、コラソン、となりのポチがアオ〜ンと鳴く。遠吠えは悲しいのか?動物にも確かにせつなさはあるでしょう。イヌ派ネコ派の対立はこの辺にあるのかもしれません。ネコの悲しい遠吠えはあまり聞いたことはない。でもありそうな気もするのだが、やはりイヌの愛情いっぱいの嬉しそうな顔はいいもんです。ネコはおまえ帰ってきたのかってどうでも関係なさそうにしてます。またそれが飼い主にとってせつなかったりして、何がせつないのかよーわかりません。