当時はフィリップスの大きな看板が目印の六本木日本フォオノグラム本社を尋ねた日は忘れまい。ふだんどんな曲を演奏しているのかオリジナルを持っているか? 

どんな考えを持っているのか......あれこれ尋問のように聞かれたました。その日は何だかフワフワして帰った記憶がある(笑)


それから、まもなく封書が届きまして、とにかく私のオリジナルを我が社のスタジオで録ってみようということになったのであります。

当時は16Chのフォノグラムのスタジオでメンバーを集めてデモテープの作成を始めました。 
(MANHATTAN SKYLINEに入っている曲を録音した当時のテープはそろそろ我が家でアーカイブとしてデジタル化しなければならないかな)


さて、結果はどうあれである......後は運を天におまかせするまな板の鯉のような心境でありました。 駄目でもともと 期待はするまい...... ⌒⊥⌒ゞ

写真は東京に渡ってからのものであろう。ピックを加えているショット である。プロのカメラマンにいただいた一枚であります。ジャズ喫茶でのショットで今はほとんど見なくなったコカコーラの瓶が時代を彩るか…

 

さあそれからの話の進展は佐藤充彦氏をアレンジに迎えてのレコーディングをしようとのお話でありました。当時は天にも登る気持ちであります。

東京に来てすぐ、まさかのアルバムを出せるというのであるから、何としたことであろう…
しかし連絡が突然来なくなり話がそれ以上に進まない…いつのまにかデビューは消えたのかな? 

駄目元で出て来た東京であります、そんなうまい話はそう簡単にあるものではないであろう。しかしで
ある フ〜ム ....<ー_ж_ー> 


しばらくしてまた連絡がきまして、フォノグラムに伺うと当時スイングジャーナルの編集長からフォノグラムの洋楽に移籍した児山紀芳氏から直々のお話でありました。

「東京での録音でデビューさせてもたいして話題にもならないであろう、そこで勝負をかけることにした。
ニューヨークに行け!!テオマセロにプロデュースをさせる。」

と..そして、

「私は友人のテオに君のプロデュースの冒険を与えたいん だ!」

と...... 
え〜 そんな...... 絶句であります。

私は急に怖じ気ずいてしまいましたた。私ほそんな大きな器ではありません東京で充分でございますから…本音とも謙遜ともつかない言葉が咄嗟に口から出てしまいました。

すると児山氏は、「会社がせっかくニューヨークに連れていこうとしているのに断るバカがどこにいるか!」と怒られたのであります。


そうか  ....<ー_ж_ー>フム

ここまでの経緯というものも運命ならばニューヨークも天からの采配であろう!”…なら絶対に大丈夫であろう! と咄嗟に肚が座ったのであります。 めでたし!


『わかりました よろしくお願いいたします!』┌<_*_>┐謝々

 
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